ささやかに生きる

音声入力中心に、思ったことをつらつらと。

寂しくないから

こんばんは、ささやかに生きたいモニコです。今週末は、夫の出張につき実家へ。やりたかったこと、秋服の仕入れ、スキンケアの仕入れもできたから満足して今。残ってる仕事があるけど、3連休だから、明日か明後日にはやるでしょ、という先延ばし。妹がワクチン2回目打って、副作用が、ってことでお盆ぶりにきた。ので家族団欒。

妹がお風呂に入りながら相談してきたのが、友達の彼氏とのあれこれを聞かされるのがもう嫌だ、と。喧嘩しては同調して彼の悪口をいい、なんでもなかったー☆って彼モードになればその惚気を聞いて。振り回されるのはうんざりだ、って。その友達、いい意味でも悪い意味でも恋愛体質、なのかな。素直に、そこまで何でも友達に彼のことをあけっぴろげに話せることがすごいと思った。だって、私だったら夫の嫌なところとか自分がうまくいっていないところとかを他の人に知られたくない、私の中だけでとどめておきたい、って思ってしまう。親友とかだったら信用できるから話せなくもないけど、言わない話もいくつもある。その子は言うわけでしょ、下手したら「やめなよそんなの」とか、「別れたほうがいいよ」と言われかねないことでも。その子は妹のことを信用してるんだな、と思った。バカにされない、言ったからと言って彼や自分の人格を否定されない、って。そこは、良かったんじゃない?信用されるのはいいこと。もしくは、彼女が何も考えていないか、だけどね。

この話になった時、私達って、そんなだれかに「聞いて聞いて!」ってマシンガンのように話す、みたいなことないよね、今までなかったよね、との話題になった。職場でも、朝イチでおはようも言う前から昨日あったことを聞いて聞いて、と話してくる子供がいる。私達、朝イチで先生に話すようなことあった?聞いてもらいたくて仕方がないこと、なんてあったかな?と。無いのよ。思い出すことはなにもない。それって、なんでだろう?と考えてみた。

答え、「寂しくないから」に至った。母は専業主婦だったからいつもおうちにいて、なんでも話を聞いてもらえた。姉妹も仲良くて、いっぱい話してた。父も、仲良かった、たぶん。だから、もう満たされていたんだよね。全然寂しくなかった。誰かに話を聞いて欲しい、っていう感情がほとんどもうなかった。だからなのか、聞き役に徹することが多い学生時代だったのは。なんか私、話を聞く側に回ることが多いな、って常に感じていた。話すのが嫌いなわけではないけど、2人でいたらたいてい聞く方。話す友達が満たされていないとか、そういうのでは決して無いと思うけど、「ちょっと聞いてよー」ってぺらぺら話す、ができなかったんだよ。家で話し尽くした、心が荒ぶって聞いて!!とならない。今になって、そういうことだったの?とちょっと解決。

友達との関係を振り返ってみても。満たされているだろうな(この見方、場合によっては超失礼なので極秘)という友達とは、建設的な話ができる、そういえばね〜って落ち着いて思い思いの話ができる、できていた気がする。でも、そうではない友達だと、会って早々にねえ聞いてよ、こんなことあったんだけど、って怒涛に話してきて、こっちが何を言おうと、って感じで。私からなにかを話しても、共感をしたり、話を広げたり、っていうのはなくて、私もさー、って話泥棒。ある、あるわ。

寂しくない、満たされている、って大事だなあ。人間関係に余裕ができるのはもちろんだけど、生きていくうえでも、寂しくなくて満たされている方がゆとりがあって、しなやかに生きられる気がする。夫が出張に行って寂しい?と聞かれても、いやあ寂しくないね。ってのは、今回みたいに実家に行けるっていう物理的なもの、以外にも心が満たされているから、ってのがあるのかな。

新発見。再発見。妹よ、ありがとう。そして副反応がんばれ。