ささやかに生きる

音声入力中心に、思ったことをつらつらと。

エゴイスト

おはようございます。ささやかに生きたいモニコです。

昨日は、偶然立ち寄った本屋で高山真さんの「エゴイスト」の小説を見つけました。妹が、すごいものが映画化するよ、主人公鈴木亮平、相手宮沢氷魚だよ?!と熱く言っていた。

このお2人が同性愛者役やるなんて、二度とない!!!と。原作が本だって事は完全に知らなかったし、存在すら薄れていたところに、2人のエモ!!!な表紙の文庫本を見つけて。

一緒にいた後輩は、私がどんな本が好きとか全く分からない状態だけど、それが同性愛の話であるとかも感じとったかもわからないけれども、その場で即買いした。

 

帰って、速攻ちょっと読み始めたものなら、止まらなかった。まず、田舎から上京して、お盆年末に帰省をするときには、鎧、自分を武装するために高い服ブランドロゴがはっきりした服を買って着て行く。それをこれ見よがしに見せつけることで、自分が成功者であることを示す、って描写。自分が全く同じことを思ってたわけでは無いけど、その気持ちはわかった。

友達に会うときには、自分の持っている中でも1番良い服を着たい。ましてや、そこに学生時代の子劣等感がプラスされたなら、なおさら。安いけどおしゃれとか、そういう自分が思う良い服だけじゃなくて、わかりやすいブランドロゴがついている、とかって小さいことかもしれないけど、その人にとっては大きい。「見返したい」思いが表れているからこそ。いきなり1ページ2ページ目から、引き付けられた。

 

全体の感想としては、もっと同性愛色が強い本なのかと思ってた。映画のホームページは、服を脱いでこれから始まりそう、キスもいっぱいしてる絵だったから、そういう展開もあるかなって思っていたけども、本では基本的にはない。だから、扱っている題材が同性愛とは言っても、誰にでも、それこそ家族とか近い人に勧めてもぎょっとされるって事は無いというかな、と思った。

だからインスタのストーリーにも、やばいもの見つけた!最高!で投稿しちゃったけど、大丈夫だよね。みんなは同性愛がちょっと出てくる位じゃ動じないよね。

 

同性愛だけが書かれている本とは全然異なっていて、どちらかと言ったら人間愛。

「もうこれは恋じゃない。愛と言うのは恥ずかしくて言えないだけど、自分のしている自分のためにしていることを愛とは言えない。」

って言葉があるんだけれども、そこで単純に…そっか、もう恋超えて愛なんだ、でも、ただの愛、だけでもなくて。そこに恋愛てきな愛があるから、って位置づけをしてしまうと、そこは題名にもある通り、彼のため彼を愛しているからの行動ではあったかもしれないんだけども、自分が母にできなかったことを、彼の母親と関わって、自分の物語を彼の物語を通して進める、と。

自分がしたことはただのエゴだったのか、と葛藤がある。けれど、みんながそれで幸せに思っていたことは事実なんだから、それが愛だろうとエゴだろうと、自分を責める必要も全くないんだよ。それは美しく、いいことなんだよ、って話。

 

最後の、エゴの捉え方はちょっと迷った。3回位最後だけを読み直した。龍太のお母さんは、浩輔がしてくれたことをありがたいって思っていたし、いろいろ形は変わってしまったけれども、人もいなくなってしまったけども、浩輔と龍太の母と関係が続いていく、共に生きていく。それがエゴであろうと愛であろうと、どっちだっていいじゃないか、と捉えた。

そう考えたら、これって私のエゴじゃない??と思うことって、誰でもあると思うんだけど、それを貫けるなら、いいんじゃない!!

 

自分はそれとは逆で、エゴだよね…って思ったらすぐに遠慮したり、なかなか自分以外の人を巻き込むのは苦手。浩輔みたいに貫けたらかっこいい。

最後の捉え方は、まだ自分の中ではふに落ちていないから、それこそ今週の金曜日から映画が公開されるから、そこでどう感じるか見てみよう。本では、浩輔寄りの視点だった。映画は、どちらにもそこまで寄るわけじゃなく、考える余白があるって鈴木亮平宮沢氷魚の対談で言ってた。音や映像もある分、また感じることはあると思うから、土曜日見に行くのがめちゃくちゃ楽しみ。