ささやかに生きる

音声入力中心に、思ったことをつらつらと。

ほぼ日手帳2023

こんばんは。ささやかに生きたいモニコです。

なんと!!ず〜〜〜っと存在は知っていて気になっていた、ほぼ日手帳weeksを買いました。

 

存在は数年前から知ってて。面白そうだなぁ〜とは思っていたけど、なかなか手が出なかった。なんたって、私、手帳が1年続いたことがないから。でも、インスタで投稿してる人見るといいな。使いたいなぁって気持ちが高まっていて。

私の住んでる地元に売ってる店がまだないよな。仙台まで行ってロフトで見なくちゃいけないよなぁ、ともう行こうかと考えていたくらい。そしたら、今日たまたまふらっと行った書店にほぼ日ウィークスがあった!!

しかも私が狙っていたネクタイの生地に刺繍のシリーズ。ウサギがあった。

 

値段は2400円なかなかに高い。でもここで出会えたのも縁だし!!と迷わず買った。買った後嬉しくてインスタで投稿眺めていたら、4月始まりがあることを知った。

私の職業柄、手帳は絶対年度はじめができる4月はじまりがいいんじゃないか?!?!と、買ったことをものすごく後悔。返品して4月始まりが出るまで待とうかなぁ、とも。

だけど、今年は移動があるわけでもないし、もう1月ごろには4月に向けてのことって考えている、と考えると、むしろ1月からずらっと続けてあった方が都合が良いんじゃないか??と。しかも早く使いたいし。ここで出会えたのも何かの縁だし、使ってみたらそれはそれで慣れていくだろう。1月からだって割り切ればいいし。

 

もしやってみて、本当にだめだ、と思ったら今度買うときに4月始まりにすれば良い。と言うことで、今回はこの1月始まりのうさぎちゃんの手帳を使う。ブルーグレーみたいな落ち着いた青に茶色いうさぎが書いてあってすごく上品でかわいい。それよりも、2022年が緑深い緑に虎の模様。ドンピシャだった。惜しいことしたな〜〜。

毎年このシリーズ買うっていうのもいいかもしれない。私好みすぎる。

 

どんなふうに使うかは考えないといけない。最近ロルバーンに日記を寝る前に毎日書いている。それが3ヶ月続いているので、寝る前に日記を書くって言う習慣は続けたい。それは持ち歩くって言う感じではない。だから、このほぼ日weeksの手帳はやっぱりスケジュールの管理やタスク献立など、日中に使う位置づけにしたい。日記を書くとしても、3行位しか入らなそうだし。ロルバーンは寝る前の手帳。年度とか関係なく、がんがん書いていくもの。ほぼ日の手帳は主に仕事日中に持ち運ぶものとして分けてやっていこうかな。

 

使えるまで、あと3ヶ月。今年もあと100日を切ってる。2022年無事に追われるようにがんばりましょう。最近見たドラマの影響で、仕事頑張ってる。「医者の仕事は、ちゃんとやろうとすると忙しい仕事」この言葉が引っかかって。私の仕事だって、確かに手を抜こうと思えばどこまででも抜くことができる。

だけど、ちゃんとやりたい気持ちが今の自分にあるので、ちゃんとやろう、やりたい、と。そしたら忙しいのが続いた。12時間労働× 3日は体も限界だったし、心の余裕もなくなった。頑張りすぎはだめね。

 

うまくタスク管理しながら3ヶ月生きる。そして年末はゆっくり過ごそう。そして2023年、新しい手帳ほぼ日weeksでやっていこうと思う。生きる。

4分の3の奇跡

こんにちは。ささやかに生きたいモニコです。今日はとある奇跡について。

私は大学の時に同じ学部の子4人で仲が良かった。厳密に言えば1人は浪人していたので1つ上だけど、同じ職業についているし、価値観もほぼ同じ4人だった。私は2年前に結婚したけど、友達も同じ時期、社会人1〜3年目に結婚した。4人が4人とも結婚しているグループなんてそうそうないから、価値観は揃っていた。

 

その中の1人が11月末に赤ちゃんが生まれる。ABC、そして私にしよう。Aの結婚式の時にBに妊娠おめでとうと直接言った。そしたらCが、「実は私も最近わかったんだ」と。同時期に2人妊娠発覚。2022 babyと2023年baby。ここでポイントなのが、BとCはもうマイホームも建てていること。Aと、私たちは私たちのペースで!なんて言って、いつか産むなら同級生にしたいねーって話してた。

 

そしたらつい最近AからLINEが来て、「実は妊娠しました」と。AもCと同じ2023ベイビー。

こんなことってある??4人のうち3人が妊娠するなんて。みんな社会人5年目。5年目で育休産休に入ると。多分同世代の中でも早い方かな、フルタイムで働く者としては。これは第二次ベビーブームといいますか、27歳。(第一時は、もっと早い人たち。)

 

こんなにもガッとくるもんなんだなぁ、と。自分たちには自分たちの人生がある、とわかってはいるものの、4分の3がもう出産するのかって考えると、なんとなく遅れた感が今後出てくるのかもしれない。改めて、私の人生って今後どう展開していくんだ?!と。

夫と過ごすのがあまりにも楽しすぎて、2人でいる時間がもっともっと欲しいと正直思う。子供相手の仕事をしているし、子供の面白さ楽しさ、自分も成長できるとか、そういう良さは十分にわかっている。だけど、いざ自分がってなると踏ん切りがつかないのはなぜなんだろう。

妊娠すること自体も出産すること自体もやってみたいなぁって言う感情で、拒否の気持ちは全くない。育休中は趣味への時間も取れるかもしれない、って言う期待もあるしそれはとっても楽しみ。だけど、育休明けの「働きながら、子育てをする」ビジョンが浮かばないんだよなぁ。そんなのは今から3年後とかの話だから、今悩むことではないのもわかる。けど、フルタイムで働いたとして保育園には誰が送るの?そして誰が迎えに行くの?と…不安。ヘトヘトで帰ってきた後、さらに子育てっていうのは手が回るんだろうか、と。

 

子供ってどんなに愛情をかけてもあの時こうして欲しかったって不満は絶対につくものだし、子供が犯罪を起こさないか人に迷惑をかけないかなんて、自分がコントロールできるわけでもないし。自分のやりたいようにできなくなってしまうかもな不安もある。

子供がいる未来はあるはずだけど、自分の両立できるのか不安。

 

Aは出身県よりもだいぶ遠いところにいるので、帰省するだけでも3時間くらいはかかるらしい。そんな中里帰り出産となると、ギリギリに行くのではなくて割と前から行くから、その後も考えると半年位は実家にいるらしい。そうなると、夫は週末だけ子育てをしに来る形になるらしい。自分の親のもとで育てられるのは絶対的安心があるから良い。だけど、夫が週末しか来れないってなると、夫の育てる意識は薄れてしまうし、毎週の帰省費用だって馬鹿にならない。

そうなると里帰り出産しないで自分のところで産んで、たまに母に来てもらうって言う形が夫婦で支えあえて良いのでは?って思ってるらしい。確かにそれもよくわかる。

 

さあ自分だったらどうするんだろう?!と考えてみたりもした。残念なことに、私の実家は今までは車で10分の距離にあったのに、2時間の場所に引っ越してしまった。同じ県内なのにこんなに遠いなんて。

そう考えると、もちろん私は里帰り出産をする。けど、夫にたまにしか会えないのは嫌だ!意外と難しいもんですね。出産一つとっても。

 

 

それにしても4分の3が赤ちゃん産むとは、すごい奇跡だ。なんだか置いてきぼり感もある。私もこの波に乗って産んでしまった方が、難しく考えすぎるよりも良いのでは??と思う位に。というか、仕事をしたくないから、早く産休に入りたいとすら思う。

今もし子供を産んだとしたら、28で子供が出てくるから成人するときに48歳かな。社会人になったとしても、きっと54歳位で子供が自立するって考えるとえ、6年ぐらいは子供なしのお金を貯めるだけの時期っていうのがあるのも、それはそれでいい。今いっぱい貯めるか後で貯めるか。

それから子育てには体力も必要という。さらに今の職場の環境は非常にやりやすいと感じている。あともう1年働いてから、つまり来年あたりに妊活をして、29歳で産みそうな予感。

 

いろいろ難しく考えてはいるけど、やっぱり子育てをしたい家族を持ちたい気持ちはたしかにある!ただ、自分て結構子供なんだよなぁ〜〜〜。夫にはいっぱい甘えたい。疲れたらソファで寝たいし、ご飯も適当にしたい時は適当にする。1人だけの時間も欲しいし。折り合いつけられるかな。

 

世の中には不妊治療をしたり、不妊に悩む人もいる中で4分の3の皆様は、奇跡。こうのとりが来てくれて赤ちゃんが生まれる。3人とも自然妊娠だし、1回分の1回でうまく妊娠できた子もいた。本当にトップクラスに人生のすごろくを進める形!!だと。自分もわりとその中に入っているとは思ったけれども、妊娠出産はちょっと遅れるかもしれないな。私の精神的な自立の遅さによって。

 

いま、彼女たちと一緒に妊娠出産の悩みを共有できなかったとしても、私が困った時に支えてくれるというか、いろいろ教えてくれる友達が3人もいるんだ!!って思ったらそれはそれで心強いかもしれない。そうやって割り切って、自分は自分。自分の人生がより楽しく楽に幸せに歩めるように、考え方をアップデートして行けたらいいね。

 

4分の3の奇跡。無事に産まれますように。

(出産祝いがかさみますね。)

表舞台と適正

こんばんは。さやかに生きたいモニコです。友人との話がきっかけでまた音声入力でブログ書いていこうと。

今日は仕事について。私は「表舞台に立つ側」の仕事をしていると勝手に思ってる。何を持って表舞台とするかだけども。顧客、私で言ったら子供を相手にしている。お客様を相手にしていること、自分が学校と言う会社にいるとしたら、お客様を相手にしているから表舞台ので働いている、という認識。その点、夫の仕事はネットで商品を売っているけれども、その社員同士の調整をしたり、発注をしたりサービスを考えたり。お店でお客さんを相手にしているものを表舞台と提示するなら、夫の仕事は裏で支える仕事と言えるかな。

 

自分が進路を決めたのは高校生の時で、その時は「夢を持て」と言われたから、なりたいものを選んだ。その時は仕事の過酷さ、ハードさは気にせず、どれぐらいのプレッシャーがあるのかとか、ストレスがかかるのかとか、そういう点で全く見てなかった。

表舞台裏方って言う考え方自体がなかったし、自分の得意な適性で選んだわけでもなかった。社会人になって顕著に自分のことを知ることができるようになったんだけど、とにかく私は地味な作業が好きだ。例えば消しゴムはんこは、黙々と図案を掘るときには1つあたり1時間の集中力も全く苦ではない。あとは編み物。1つのものが完成するまでに3時間から半日1日かかったとして、3時間ぶっ通しで編むと言うのも平気でできる。ビーズアクセも刺繍もできる。手先を使った細かい作業がとにかく得意。

それを高校生の時の自分が知っていたら、今の仕事は選ばなかったかもしれない。じゃあ何を選んだか。ものづくりの職人、っていうのは今の時代、食べていけるのかな、新卒でなるものかな、と不安はある。そうじゃないとしても、この手先の器用さ集中力を強みにした仕事を選べば、少なくとも表舞台に立つ事はでなく裏方でも充分働けたんじゃないかと。

 

今の仕事でその集中力が生かされていないわけではない。例えば消しゴムはんこは、子供たちの手学習で押したり、連絡帳に押したり、子供との関係づくりや、コミニケーションとはご褒美の意味でも役立ってはいると思う。編み物も編み物は仕事では役立ってはいないけど、趣味として楽しむことができている。

その他ではピアノが弾けること、音楽で役に立つ。縄跳びが得意なことも体育では充分。バレーボール部だったことも休み時間に遊んだり、もちろん体育の授業でも役に立つ。トランペットが吹けることも鼓笛指導の時に役に立つ。

私が持ってる力を生かすなら、この仕事は適しているとも言える。

 

でも、やっぱり自分の性格・性質的には、お客様、「子供」に対してあれこれ接する教える授業をするよりも、オフィスワークで黙々と何かをこなす、プロジェクトに向けて、1人でじっくり考えたり、仲間と協力するそのほうがよっぽど合っているし、今よりもストレスがかからないんじゃないかなと。

会社で働いたとして、営業とか何かプレゼンをするってなったら、それは表舞台かな。しかも対子供であれば、少しはこちらの味方になりやすいというか、日々の関係性もあるし、営業先の人に接するよりはもしかしたら楽かもしれない。これが対保護者となると営業先の人と同じようなプレッシャーを感じるレベルではあると思うけど。

 

営業もせずに社内だけで黙々とこなす。これはいわゆる事務の仕事にあたるのかな。おそらく、私の正確の適正的に事務ってめちゃくちゃ向いているんじゃないかと思う。

 

でもそうすると私の得意なこと、どこまでが得意と言っていいかわからないけど、ピアノや縄跳びバレーボールトランペットそれらの事は全く仕事に生かされないことになるね。これらの事は日常生活ではほぼ使わない技能。となると、下手したら一生使わないかもしれない。

それでもいいとは思うけど、なんかもったいないような気もしてきた。

 

今の仕事。正直プレッシャーが多いし、休憩時間が存在しないし、辞められるなら今すぐにでも辞めたいと思う。だけど、こうして冷静に分析すると、技能適正的に適してるところがやっぱりあるんだよなぁ。私は割と想像力も豊かな方だから、授業をするってなった時も授業案は結構浮かぶ。アイディアが出てきたとき、子供と一緒にやるのは楽しい。

何より1日の中で思いっきり喜び笑う、できたらしたくないけど怒る、悲しい気持ちになる。喜怒哀楽をこんなにも1日のうちに使う仕事って他にはない気がしてきた。

 

表舞台に立つ仕事は、やはり負荷がかかる。その分、精神のすり減りや疲弊はもちろんある。だけど、技能適性や喜怒哀楽などいろいろ考えると自分に向いているなぁ。天職だなぁとも。だからやるしかないね、って言う。内にこもりたい性格ではあるけど、それはそれとして。やれるんだから、やろうか。

 

3連休前の愚痴でもあり、やるしかないって理解はしてる自分への説得でもあり。

3連休たっぷり休んで、また自分の力自分の持ってるもの120%出し切ってやっていこう。

ケリーグリーンのバッグを編んで

こんにちは、ささやかに生きたいもにこです。

編み物、めちゃくちゃにハマっています。ツイッターで見たけど、編み物って、癒やし効果というか、一種のセラピーみたいなものだって。まさにそのとおり。手芸って細かいし難しいイメージあるけど、編み物は編み方さえ覚えれば、単調な繰り返しが多くて、ものが大きいからやってます!感もすぐに味わえて、手っ取り早い。

この前、手芸好きにはたまらない大型手芸店「TOKAI」(やっとこ会員になった)に行って、ケリーグリーン(初めて知った)という、ぱきっとした緑、最近良く見るグリーンの鎖編みバッグが展示してあって、編み図もついてる、ってことで、糸は100円ショップでしか買ったことがなかったけど、思わず買ってしまった。1玉1000円。ありえない高級品。しかもそれが2玉。バッグがほしい、というよりは編む過程を楽しみたいしな、ってことで購入!編み図つきで2500円もした。(後にわかったけどネットでも普通に見れるやつだった。毛糸だけ買えばよかったね!)

 

さて、編む。今まではユーチューブを見ながら見様見真似でやっていたから、なんとか作品になっていた。今回は編み図。編み図をまともに見るのは初めて。どこが編み始めで、細編みはなにか、長編みはなにか、鎖…とわからないことだらけで検索しまくり。それでも、できるんじゃん???と調子にのってやっていたよ。

できない。

とにかくできない。

あれ?これおかしいんじゃない?と気づき、ほどく、の繰り返し。

一番ひどかったのは、66目編む、を確かに66目編んでたけど、それをさらに66段編もうともう50段くらいまでやってしまったこと。22段でした。あほ!!!!30段も無駄に???66目を??はるかな時間を無駄にしてしまったことで途方にくれる。確認しろよ!!ってね。書いてあるのに。やるときには、見えなくなっちゃうものなんだよなぁ。

そしてさらに、じゃあ22段ね!!って泣く泣くほどき、持ちてを編んだ。2本。そしたら、規定の大きさよりも5センチも小さいことに気づく。確かに22段ではある。でも、糸の引っ張り具合とかで小さめになってしまっている私の作品。10センチのバッグなんて、小さすぎるじゃないか!!と。結局、センチを優先し、8段足すことに。なんだよ、じゃあ30段でほどくのやめとけばこの時間なかったじゃないか!って。

私はどれだけ無駄なことを繰り返すのでしょう。このケリーグリーン、見るのも嫌になるほどにとことん時間を使った。ずーーーーとこれをやってた。4月5月の集大成。4月に新生活で体調を崩したときも、ワクチンの副反応に苦しんだときも、ずっと編んだ。GWに終わらす!!って目標、今日は5月8日、なんとか滑り込ませた。できあがった。

ケリーグリーン、超かわいい!!!!!まずもって色が天才的。白黒のモノトーンなシンプルな服装に、ちゃっと持ちたい。さりげなく。色モノも私入れられるんですよ、ってオシャレ感を出せる。鎖編みだからかなりのびのびするけど、近場にお出かけ、ッテ時には絶対使える。

 

ケリーグリーンのバッグを編んで、「確認ってめちゃ大事!!」ってことを学びました。確認を怠ると、何回も、何回もやり直すことになる。どうせやるんだから、最初に確認せよ、だね。いい勉強になりました。

さてさて、ちょこっとばかし糸があまっているので、お得意のバネ口ポーチでも編んじゃおうかな?!と企み中。いつまで編むんだ。

2度めの結婚式

こんばんは、ささやかに生きたいモニコです。久しぶりのブログ。4月、新年度はとにかく忙しかった。GWからそのままフェードアウトしてニートになりたい。今こうして書いている横でまったりしている妹のように。

今日は、人生2度目の結婚式に参加して…感じたこと。ほぼ愚痴です。ワタシ、アンチ結婚式だから。

 

2度目にして、改めて実感した。結婚式は究極の自己満足である、と。馴れ初め、どこで生まれてどの学校で何をして、からアナウンスが入り、どこで出会い、関係を深め、時に遠距離恋愛で…って、誰が聞いてる??!!!その情報。芸能ゴシップならまだしも。一般人の、生い立ちや馴れ初めを誰が聞きたいの?って。上司から挨拶を頂いて。上司も、可愛そうなものよ。GWのさなか、出会って間もないとしても、高いご祝儀払って、そしてスピーチまでさせられるんだから。ツーショットのムービー、もう、おなかいっぱいです!って。今、インスタでもツーショット投稿するひと減ってるくらいよ。見せられて、うん、それで??って。美味しいごちそうも、ここでじゃなくていいし、もっと好きな人と、じっくりゆっくり食べるから美味しいんだよ。知らない人ばかりに囲まれて、落ち着かずに食べる高級料理より、家でくつろいでお行儀悪く食べるカップ麺の方がずっとおいしい。極めつけは親への手紙。それ自体は素晴らしいよ。でも、それを見せられる、聞かされる、所詮他人なわけよ。他人家族の涙ちょちょぎれスピーチを、休日返上で聞きに行くワタシって。

ばぁーーっと吐き出した。まだある。

そもそも、結婚式はなんのためにやるのかを考えたほうがいい。結婚をしました、それ自体はとても素敵なことで、特に友達や親友だったら、おめでとう、よかったね、ってお祝いの気もちは湧く。きれいなドレスを着る。ここから少しわからなくなる。ウエディングドレスってなんだ??着て、写真を撮る、結婚したてのいい時期に、二人の思い出として撮る分には、一つのイベントとしていいかもしれない。両親への感謝、これは伝えたほうがいい。手紙にしても、スピーチにしても。特にお嫁さん側は、名字も変わって籍が変わるわけだから、何かしらは伝えたほうがいい。だとしても、両親にだけ伝えたらいいと思うんだ。友達サイド、我々に伝える意味は、ない!!!!

そう考えると、結婚式は、新郎新婦、家族でやるのがベスト。友達を呼ぶ必要はない。ついでに、いろんな儀式、料理を省いた結果、写真を撮った日の最後の方に読んで、両親とも写真を撮る、感謝の挨拶をするのがいいかも。いいエッセンスだけをとってできる。

愛の誓いは、みんな、友人を集めてやらなくたっていいわけ。当人同士が、最高に中が良くて、信頼しあって、愛し合っているのなら。見せびらかすものじゃない。それに、やっぱり、3万円のご祝儀をもってこい、って、休みの日にやるからこい、って友達に言うのは、どんなに仲がよくても気が引ける。自分たちの自己満足に付き合わせるのが、あまりに申し訳ないから。その、申し訳ないな、って感覚は人それぞれだと思うけど、そう微塵も思わないのであれば、ワタシとは感覚が合いませんね、って話。

だれもがみんなそうじゃないのはわかってる。でも、ちょっとはよぎらないものなのかな。休みの日にお金を払って来てもらうことのありがたさとか、相手に面倒をかけることとか、その日に他にやりたかったことがあるんじゃないかとか。人の時間を奪うことになる、ってことを。全然そんなこと考えてないんだろうよ。お世話になった人を招待して、お祝いをしよう、って。ってか、小学生の頃、誕生日会を開くとき、相手からお金なんてもらったか??お祝いをしてもらうはずの立場の新郎新婦が、お祝いをするから、「来い!」って、それもうカツアゲじゃん。

怖!結婚式、こわ!!!!カツアゲが法律的に許されてるんだもん。恐喝。脅し。脅迫。

 

自分のことを振り返ってみる。結婚をした時、たくさんの同僚にお祝いをしてもらった。みんな忙しいはずなのに、お祝い会の時間を作ってくれた。花束をもらって、ワタシからは感謝を述べて。そしてなにより、子どもたちからのお祝いの動画を作ってもらった。替え歌。それをみんなでみた。プレゼントをもらった。それ以上に、何を望む???きれいなドレス?友人からのスピーチ?結婚式をしたという事実?人をあつめて、たくさんの拍手をもらいたい?祝福をうけたい?もう、十分、十分すぎるくらいたくさんの愛とお祝いをもらった。だからなのかな、私、もう満足してしまった。結婚のお祝い、というものに対して。そう考えたら、結婚早々に満たされた私って超幸せ者だ、と。

そして何より、実際に私は幸せオブ幸せ、と胸を張って言えるくらいに幸せ。だからこそ、式というものにこだわる必要がない。式を挙げたい、挙げなきゃ、挙げるものだろ、っていう概念がない。もう、満足しているから。幸せだから。

 

NHKの正直不動産という番組にハマっていて。そこで、どんな家だとしても、住んでいる人が幸せじゃなかったら意味がない。どんな家でも、住んでいる人が幸せだったらそれでいい、と。まさにそれ。私達は最高に幸せ、だからどんな式やお祝いだとしても、お家だとしてもいいんだ、幸せなんだ、って。

 

人生2回目の結婚式。やっぱり、結婚式というものに対しての、無駄、友人を呼ぶときの罪悪感、申し訳無さ、傲慢さ。じゃあウエディングドレスを着ての撮影と親への感謝の気持を伝える方法のよさ。

そしてなにより、今の自分が最高に幸せで満ち足りている、ということ。

 

ながくなりましたが、これで、2回めの結婚式で感じたこと、のブログにさせていただきます。

許すこと

 

こんにちはささやかに生きたいモニコです。

今日から早速ね音声入力でやっていこうと思うのでがんばります。今日は、「相手を許す」について。誤った何かがあったときに、許せるか許せないかって結構大事なポイントだと思うんです。最近感じました。

例えばですけど一緒にボール遊びをしていたときに、たまたま後友達の回数だけがみんなに比べて多くなってしまう時。わざととかではなくて、たまたま取るのが上手いとか、いい場所にいていっぱいボールが来るとか。少し偏りが出ちゃったとか、平等の観点で言えばおかしいみたいなことが起きたときに。でもそれって仕方がないことだよね、私にも回してくれたらいいな〜って伝えるのか、それとも「なんでそんなにいっぱいボールやるのずるいでしょう、早く渡して」のコミニケーションの仕方。

「仕方がないけどたまには貸して〜」って言う子の捉え方の根底にあるのは「許す」だと思ったんです。少しの偏りが出たとに対して、許す。その上でこんなふうにして欲しい、って素直に伝える。どっちの言い方をされたいか?誰も偏りをせめられたい、なんては思ってないはず。しかもそれがわざととか、相手の奪ってまでボールを取ってるとか、そういうことでは全くないわけで。そしたら、受け手にとっても許した上でのコミニケーションの方が気持ちがいいし、多分言う方も「なんで??」って突っかかって許せない!!って言う状態での関わり方をすると、労力を使って精神的にも無駄に疲れることになるんじゃないかなぁと。

 

だから、相手を許して、じゃあその上でどうするか?って提案できる人になりたい。

 

でもね自分を振り返ってみると、ちゃんと許せているのか?って言われると、全然許せていないことがある。例えば、大人数の人と接するけど、その人の中のうちの誰かが忘れ物をした時に私すごいかちんときちゃうんです。なんで前日にちゃんと確かめないの?ってその怠惰な態度に対して、全然許せなくて。これからは確認しなよ、って伝えればいいだけなのに、不機嫌な態度をそこにプラスしてしまう。私は怒ってる、嫌だって思ってる、って伝えなくてもいいのに伝えちゃう。

忘れてしまったことは、もう今更家に戻るわけにもいかないし変えられない。それだったら、怒っても怒らなくても変わらない。だとしたら、すっと許して、「あー忘れたのね、次気をつけなよー」って嫌味のない言い方で言うことができていたら、自分も相手もどれだけ心穏やかでいられるか。毎日のように感じてます。

許せたらいいものの、なかなか許せないことが人間やっぱり誰しもあると思います。私にもある。今までは、相手が悪いんじゃん、て思ってました。でも、どんどんどんどん積み重ねるうちに、もうそれ許したらいいじゃん?!って。許したいとも思えるようにはなった。だから後はもう、「許す」行動、それさえできれば本当に苦しくないと思う。

 

他にも、に夫に対してもそうだよね。こんなふうにしてほしい、がしてもらえなかった時に、「なんだそんなことか〜〜」って言えない、許せない。許すハードルが高くなればなるほど怒る回数も増える。自分の思い通りにならないのが許せないとかさ。許せたら、お互い良い関係がね築けるんじゃないかっていうのはもうわかったんです。

だからこそ私は許せる人になりたい。よく「寛容」って言葉も使いますよね。そう。寛容ってめちゃくちゃ大事だなぁって思いました。寛容な人になりたい。そんな人と付き合いたい。狭量っていうのかな、心が狭くて許せない、許せないことに対して怒り続ける人とは関わりたくないでしょ。

ささやかに生きるが私のモットーですけども。ささやかに生きて、相手も自分も許すことができる人。許して、許して、うまくいきれたら良いな、という学びでした。それでは。

因果応報

こんにちはささやかに行きたいモニコです。ここ最近運転中はずっとドラマを見る時間が多かったんだけど、やっぱり後 自分の考えもたまにはね言語化したいな…と言うことで久しぶりです。

話したいテーマがめちゃくちゃあって。今日は因果応報についてお話しします。身バレ防止のために多少フェイクとかごまかし入れます。

よくいるじゃないですか自分勝手でわがまま放題な人。そういう人のことを私めっちゃ嫌いなんですよ。相手に気を遣わせたり、自分がいいと思ったことを押し通すみたいな。省いたり。そういう女子特有のわがままな女、気を使わせる女っているんですよ。どの学生時代を思い出してもいる。

まぁ私の持論じゃないけど、そういう人はいつか絶対誰かに疎まれるんだからなぁ!?みたいなのは思ってて。今でこそ小さい集団だから、いうことを聞いてあげてるって言ったら変だけど、相手がを我慢することで成り立ってるというか。少なからずあると思う。そのままの感じで中学校行ったら、小学校の時あんなに言うこと聞いてた人たちが、ここぞとばかりに手のひら返して他の人たちとつるんでさ。その人を省く、とか絶対にある話じゃないですか。

最近もそういう話聞いて。わがまま放題だった子が、不登校になったみたい。不登校という事実、自体はかわいそうだなぁって。とっても悲しいことだ、と。だけど一方で、その子ともし私が来同級生だとしたら。小学校の時にもわがまま放題で、すごい気遣って。こいつが休めばいいのに、とか思ってた人が中学校になったら。この立場が逆転し、ていうかむしろ勝手に落ちてくれて、学校に来なくなるなんてことがあったら。

表向きかわいそうだねぇとか、大丈夫かなぁとか、思いつつ。ざまぁみろ、お前がしたことがそのまま帰ってきたんだろう?ってこれこそ「因果応報だろう」って突っぱねたくなる気持ちがないわけじゃない。むしろ、不登校だからって別に…って思っちゃうのも事実だと思ったんです。言ってしまえば、だって小学校の時に学校に行きたくないなぁって思わせる位わがまま放題をやっていたわけですよ。それがちょっと中学校で突っぱねられたからって、学校に行きたくないってなるのはほんとに当たり前のことでしかない。学年が上がったもんだから、その時の感じ取り方っていうのは、小学校以上って言う。皮肉なことに。小学校の時に経験した人以上なのも仕方がないというか。

だからね絶対に因果応報ってあると思うんです。わがまま放題で相手に気を遣わせてる、そのことにも多分本人は気づいてない。だから数年後の今、そのまんま、それ以上の形で帰ってくるっていうのは因果応報で。

私は立場上、もしそうだったとしても助けなきゃいけないって言う立場。でも、やってきたことが帰ってきただけでしょう?っていうのが正直なところ。あなたは悪くない、とかは言えない。まぁ言わないんだろうね、その専門家の人たちも。今までやってきてしまったことが原因で、返ってきているのも事実だと思うよ、ってまぁそこは受け止めた上で。じゃあこれから先、今中学校不登校でなると高校、大学の選択肢も狭まってしまうから、それに対してどんな方法を選んでいくの?って切り替えていくのがベストかなぁと。だってね、もうやっちゃったことが引き起こしてるんだよ、と心苦しいけどお伝えしないと。今は立場変わってしまったけど、そういうことする子と仲良くなりたいかな、一緒に過ごしたいって思うのかな、と。全然部外者の私が思いました。

ほんとに腹黒いなぁとは思うんですけど、中学校んとき、こいつはわがままだし相手のことがめっちゃ考えてないなぁ、って言う人がいて。なかなか高校で友達がいないとか、ちょっとハブられ傾向にある、なんて風の噂を聞くと、ほれみたことか!!ざまあみろ!だからそうだったんだよ!!って心の中で毒づく、っていうのはあった。これもまた、因果応報である。

それと同じことをご自分もされる言われる可能性だってあるので、やっぱり相手が嫌がる事とか自分を押しすぎることっていうのはしない。出る杭は打たれるって言いますし。そつなくやるのがいいんじゃないかなぁ、と考えたこの頃です。因果応報。まぁが不登校になるって言うのはかわいそうなので、何か別の道を切り開くのがいいんじゃないの。あの時こうしてたよねほんとにごめん、て伝えられたらまた変わるかなぁ。伝えられるような子だったら、もう伝えててとっくに解決してるだろうって言われたら確かにそれもそう。でもやっぱり、人って根に持つ生き物だから。気にしてないとか言ったって、謝られればまた変わるさ。だからその人も、小学校でのわがままっぷりを認めて、謝罪、っていうのができればまた変わってくるのかね。

そんなことを思ったモニコでした。それでは。