ささやかに生きる

音声入力中心に、思ったことをつらつらと。

文房具

こんにちはささやかに生きたいモニコです。今日は珍しく、夫婦で別の友達と遊び、それぞれアウトドアをする休日を過ごしました。私は桧原湖一周サイクリングに行き、夫は尾瀬をハイキング。こういう過ごし方は珍しくて、お昼頃解散になったので私は1人で「山塩ラーメン」を食べ、それから妹の家に貸してたパソコンを返してもらって。それで仕事をしようと。本当は職場に行って、職場のパソコンで仕事もできるんだけど。職場の玄関までは行ったんだけど、休みなのに入りたくない!!という、なんか頑なな気持ちが出てきて、負けだみたいな。仕事できない奴だと思われる、というかこうして土曜日に仕事したことをいろいろ言われたくないとか…そういう気持ちもあって。1番は、まぁ家でもできるなぁ?を感じたので。家でやったほうがいいだろう、ってことで。

そしたら、妹の家があんまりにも汚すぎて。ものが落ちているままになっている、床が見えない。私も掃除が得意な方ではないけれども、これは見過ごせない。掃除片付けをしました。一仕事終えた後に近くに大きめのTSUTAYAがあったので、文房具みたいな、と。私は本来文房具めちゃくちゃ好きで、もういらないだろ!って言うぐらいいコレクションをかつてしていたんです。だから見るのはすごくワクワクするし楽しいんですよ。だけど、いざ何買うってなったときに、「別に何もいらないなぁ」って状況になって。普段仕事で文房具は使うけど、職場でもらえるというか自由に使って良いストックがいっぱいあるので、消耗する赤ペンとかそういうのはもう全部無料で済ませたい!みたいな強欲じゃないんですけどケチ心が働き。そういうのを買おうとは思わないし…ってなるとシャーペンと黒ペン?でも、黒も万年筆のインクが無料であるから、特段欲しくないし…って思うと、ほんとに私が使うものなんて微々たるものだなぁ、と。ノートにあれこれ書くのも好きなんですけど、それもあるんです、よ無印で最近買ったのとか。後はリングで入れ替えられるミニノートも持ってるし、1番使う手帳ノート(B5判のまた入れ替えられるリングのやつ)も持ってるし、そうなると思ってるものばっかりで、何も買うものがないじゃん!と。

無意味な時間だったと思いますが、店内をうろちょろしまくりました。手ぶらで帰るのも嫌だし、何かを買いたい!!の気持ちだけはあって。だからもう迷いに迷った結果、切れ味めっちゃ良さそうなハサミ、ポケットに入れられそうなサイズ感のメモ帳、uniの最近でたクリップ部分がステンレスの黒ボールペンを買いました。これ選ぶのにすっっっごい苦戦しながら。ハサミは、仕事で使う、百均とかよりもいいものを使えばストレス減るだろう!と投資。メモ帳、いざ!という時にメモできるように持ち歩き可能な大きさを。何をメモするかわからんけど…。黒ボールペン 、クリップのまるでLAMY?なところもオシャレだし(多分パクリだけど)、軸の色が薄いグレーなのも私好み、そして300円なのにちょっと高級感がある重みのあるところも良くて。たくさん使おうと思います。何を書くのかわからないけど。

文房具大好きなのに、見てるのはすっごく楽しいのに、いざ買う、ってなるとなにもいらんな…と言う悲しい現実にぶち当たった話でした。文房具は好きよ。でも、やっぱりあれこれ買えないのが残念だなぁ。

プレッシャー

こんばんはささやかに行きたいモニコです。今日は夫がいないので久しぶりに夜寝る前に音声入力をしながらのブログです。今日はプレッシャーについて。

職場で発表会なんかもあって、特に担任としてのプレッシャーを感じずにはいられない季節がやってきてしまいました。何をやるか、どんな練習をするか、小道具、音楽…まで全部1人でやらないといけないんです。私はまだ4年目だから経験も浅くできる事は限られている。その中でももちろん全力を尽くすけれども、ベテランの先生には到底かなわないわけで。私なりに夏休みから動き始めて少しずつ進めてきていたつもりではあったけれども、ベテラン先生がささっと、いとも簡単に準備を進めていて、しかもそれがハイクオリティーだと、なんだか私って本当にできないなぁ…と自分の無力感や劣等感を感じずにはいられないわけです。もちろん経験年数が18年とか20年とか違うわけなんだから、できない事は当たり前だし、今ベテラン先生と同じ位できてしまったらそれはそれでおかしな話だしプライドも傷つくし。なんていろいろ並べると、私は充分正当に頑張っている、とは言えると思う。

だけどそんな経験年数がないから〜というのは子供たちと保護者には関係ないわけで。同じ学校の先生、そして担任の先生、子供たちにとっては自分たちの発表、と言うのは先生の経験なんて関係ないから。だからこそ、私はできること以上のことをしなければならないし、ベテランの先生に並ぶようにくらいついていかなければ、子供にも保護者にも失礼なことだと頭で理解してるからこそ、プレッシャーに押しつぶされされそうになっています。

責任のない仕事が良いと妹は言っていたけれど、今ならそんな気持ちがわかる気がする。1人で10何人の子たちの発表をのすべての監督、を私が担う。それを保護者が見に来る、公開処刑にならないようにちょっとでもできることをしないといけないわけで。この責任って言ったら相当なものじゃないかって。会社で言ったら、取引先に対して大きめのプレゼンをするみたいな。プレッシャー案件がもうすぐそこまで来ている、と言うわけです。

何だか今年はいつも以上にそれを感じていて、間に合わないんじゃないか?とか、クオリティーが低いんじゃないか?と不安になって。昨日はだいぶ落ち込んでしまっていました。夫にも笑顔がないよーとか疲れてるよ、と心配をかけてしまった。でも、昨日の私はどうしてもそのプレッシャーに押しつぶされてもう仕事なんてしたくない学校にも行きたくない、コロナが出ればもしかしてそれがなくなる?天変地異が起きれば…不謹慎なことを考えてしまう位には思い詰めていた。今日は仕事を少しすすめられたので、今後の兆しがちょっと見えたことと、別で良いことがあったので昨日よりは回復したけれども。

依然としてプレッシャーが心の片隅にずっとある。きっとこれは本番を迎えるまではずっとあるものでそれまでは緊張の糸が張り詰めているまんまだと思う。早く解放されたい、でもまだその日を迎える準備が万全にできているとは言えない。あと2週間でどうにかなるものなのか?今からとっても不安な日モニコです。

プレッシャーがなければ人は幸せになれるんじゃないか、とすら思います。ドラマに出てくるような…言われたことをやって、定時になったら帰り同僚と飲みに行く。そんな会社員生活が自分にももしかしたらあったんじゃないか、と思うと。今の、このすべての神経をすり減らし、プレッシャーを体全部で受け止めるこの生活が『人生の最良の選択』とは言えないような気がして憂鬱になる。プレッシャー、期待、責任。これらから解放される日はいつくるんだろうか。働いている間の35年はずっと続くのだろうか。

プレッシャーを感じたとしても、それに負けない位の実力をつければいいんじゃないか。もっと自分が仕事ができる人になればいいのか。もうやるしかないんだよなぁ、と言う現実はわかっている。こんなにも自分のアイデアや発想を直接生かすことができるのは、ここにいる間だけだよなぁ、とポジティブに考えて。あと2週間は全力で駆け抜ける。頑張れ私。プレッシャーに負けるな。いや負けてもいいから。プレッシャーとともに目の前のことをやっていこう。

脱マイホーム

こんばんは、ささやかに生きたいモニコです。以前もマイホーム熱が高まり、マイホームのメリット、をブログに書いた。また最近、マイホーム熱が高まっていて。再熱。だけれども、懸念材料もたくさんあり、デメリットも実は多くて。そして私達が出した結論とは、って内容です。結論、マイホームは持ちません。うん、持てない、持たないほうがいい、持たなくてもいい。なのかな。

① 賃貸なら職場から住宅手当28.000円が毎月もらえる。

28.000円×12ヶ月×34年(定年まで)=11,424,000円 ええ、イッセンマン?!補助がこんなにもたくさん貰える。マイホームを建てるとしたら、このお金がもらえない、と。税金からこんなにたくさんもらっていいんだろうか、と思うくらい。そして、今は家賃として月8万円払っているから、月の支払いが10万円でお家が建つんだよ!!と言っても…補助を考えると、52.000円しか払っていない、ということになる。つまり、差額は2万円じゃなくて、48.000円である、と。単純に、月の支払いがプラス48.000円になる世界線がずっと続く、と思うとそれはかなりきついかもしれない。それだったら、補助を貰えるえあろう1千万円は貯金に回しなんとしてもためて、老後の家賃にしたら、それはハッピーお得なのでは。

② 老後、まちなかのほうがいい説。

老後の固定費が減らせるからー!と言っても。車も乗れなくなった時、郊外で本当にやっていけるのかな?スーパー、コンビニ、書店、図書館、病院、そういう施設に歩いていけるもしくはバスですぐいける、タクシーでも安くて行きやすい、そんな場所「まちなか」のアパートでもマンションにでも住めたほうがいいのでは?と。車なし田舎郊外に立ててしまったら、どうやって身動きとるのかな、と不安になった。駅チカがそれこそよかったりするんじゃないかな。30年後は人口も更に減って、まちなかに行けるチャンスも増えるんじゃないか、と。今は郊外にしか住むことができないけど、将来的には、と。

③ ライフスタイル…夫よ安定してくれ。いや、自由なのか?

私はこの県に骨を埋める覚悟の仕事をしているけど、夫はこれからバンバン転職しますよ〜の人。なんならこの県を離れるかもしれない。だから、ここだ!!って住む場所を決めて、永住、っていうライフスタイルではなさそう。個人的には、決まった場所でささやかに暮らしたいものだけど、今世ではそれは無理そう。引っ越しも何回もするだろうし、もしかしたら海外に行ったりなんかして。そんな人がマイホームを買うべきじゃない、ですよね。賃貸にして、好きなように自由気ままに条件に合わせて引っ越していくのがベスト。というかその道しか無い。マイホームという柵に閉じ込められる必要ない、ですから。そう思ったら、もういっそ海外行ってくれよ、非日常ライフを送って日常を漫画にして、ツイッターで発信する側の先生にでもなるわ、って思ったり。

という感じで、我々は一生賃貸。一生家を借りて生きていきます。というか、賃貸ってずっと前からあるサブスク、みたいなもんだな。って考えると、サブスクって多少割高であったり損なところもあるけど、いろいろかじれてはまれていいとこ取りできて、いいんだよな〜っていう結論。お金さえあるならば、賃貸でもなんら問題ない。老後も賃貸だっていいじゃないか。ぴかぴかの築浅物件に済んでやるよ!固定資産税も一切払わなくていいわけだし!と、謎の勇気が湧いてきた。

④ いざとなれば、公営住宅へGO。

そうです、マイホームがないからって生き倒れるわけがない、今の時代に。ちゃんとセーフティーネットはあるわけで。老後、賃貸家賃払えないよ〜ってなれば公営住宅に住めばいいじゃないか。2万円台で住めるんだって?それならお金がなくたっていい。国にお世話になったら、それで生きられるわけだし。もしくは、私達の子供が大金持ちになってお家くれるかもよ、そういう未来もあるかも。

てことで。脱、マイホーム。一生賃貸。それでいいでしょう、でした。

居酒屋

こんにちは、ささやかに生きたいモニコです。我が県でも、まん延防止〜は解除され、ちょうどいいタイミングだったので、夫と串カツを食べに&飲みに行ってきました。あれ?飲みに行ったのなんて、何ヶ月ぶり、いや何年ぶり?です。家での飲みは増えたけど、外に飲みに行くなんて。「居酒屋」というものが久しぶりすぎて、ちょっと感動したり思うところがあって。そのことをつらつらと。

まず、串カツを食べたいとおもったわけ。家ではまず食べないものランキングに入る串カツ。揚げ物だから、油めっちゃつかうし、ひとつひとつ串に刺さっていて・・・作るのめんどくさそうすぎて作ったこと無かった。私はドラマとかYou Tubeとか見たものの影響を受けやすいから、いまはまっているドラマ「お耳に合いましたら」でも串カツ田中の回が最近あったし、大好きなユーチューバー酒村ゆっけ、の動画やコスメティック田中の動画でも串カツが出ていたから。んもう、これは串カツたべなきゃ!!!って駆られていたわけです。昨日も、動画見返して、なにを頼んだらいいんだろう?を研究しました。

その結果、食べたほうが良さげだったものも含め、うずら、紅生姜、キス、たらこ、は迷わずに注文。ほかは、豚バラ、アスパラ、山芋、玉ねぎ、ささみ、なんかも。まずは豚バラから。肉だから、もうこれは間違いない!ジューシーさ、揚げ物さいこー!な味だった。初手から大正解。うずらも、さくっとふわっが共存して、なんとおいしい。3つ刺さってるから3回に分けて食べられるのもまた良い。キスは、さすが白身魚白身魚のフライって美味しいに決まってるじゃん!って味でした。ちょっとびびっていた紅生姜、これまたさっぱり!かめばかむほど辛くなるんだけど、口の中にとどめていたい味というか。紅生姜単体がそこまで好きじゃないんだけど、揚げ物マジックで好みの味にへんしんしてた。すごい。そして今回のナンバーワンは、「たらこ」ですね。たらこはちっちゃいけどちびちびお酒と合わせるのが至高、と聞いたから覚悟を決めていたのに、出てきたのはおおきいたらこ。「おっきいやないかい!」と。最初から最後まで、ちびちびたべて、味変アイテムに使わせていただいた。濃い味、しょっぱさがあぶらっぽさを中和してくれるというか。たらこは次回も間違いなくリピートする。山芋も個人的にはさくさくともふもふな食感が好きだったし、玉ねぎは、もうね、オニオンリングという食べ物がすでに成立しているだけあっておいしかった。そしてやっぱりささみも美味い。肉系に外れはないな!と実感。

ふう・・・怒涛の美味しさラッシュでした。揚げ物ってこんなに美味しいの?を実感。一つ一つ違うものをバラエティ豊かに食べられるのも串カツのよさだなあと。それと、付け合せとして頼んだ梅水晶、しめ鯖もとーーーっても美味しく。こんなに美味しくて満足度の高い外食はここ最近あっただろうか?と。やっぱり居酒屋ってすごいな!代わる代わる美味しいメニューが出てくるんだもの。自分で作っても美味しいものは食べられるけど、さすがにここまではない。しかも、串カツの一品一品を用意、ってなると自分で作ったほうがコスパ悪い気がする。梅水晶もしめ鯖も作り方わからないし、言い訳。やっぱり居酒屋さいこーー!

食の面では大満足。ビールも日本酒もいただきました。ただ、忘れちゃいけないことがあったよい。居酒屋は、自分たちだけがいるわけじゃない、ってことを。完全個室のようになっていて一つの部屋になっていたけど、隣には部屋があって。そこから聞こえてくる、他のお客さんの声。おそらく社会人だけど、30代手前かなあ。まあうるさいうるさい。飲んでると、つい声って大きくなっちゃうよね。特に女性の声や笑い声がうるさくって。飲み会の感覚、思い出してきてしまったわけ。こっちはこっちで夫としっぽり、味わって食べて飲んで、楽しかったんだよ。でも、向こうのほうがめちゃめちゃに騒いでいると、なんかこっちが白けているんじゃないか?楽しさ度が負けているんじゃないか?って、なんだか何も勝負も何もしていないのに、負けた気分になる。

これ、大学生の時とか、職場での飲み会もそうだけど、ありませんでした?向こうのテーブルがやたらに盛り上がっていると、自分のいるテーブルがとってもつまらないんじゃないか、みんなもそう思っているんじゃないか?って。面白い話題提供できず、暗い女でごめんなさい、って思わなくてもいい罪悪感感じたり。ああ、この感覚…久しぶりだなあ、と。そして、この感覚が嫌いで、飲み会が好きじゃない、ってことも思い出した。そうだよ、こんなふうにお金も払って気も使って、時間もかけているのに、なぜか惨めな気持ちになる。しかも高確率で。たまに自分のテーブルが盛り上がって楽しいこともあったかとは思うけど、そうじゃないときのほうが多かった。これは運なのか、私という人とその周りにいる人の化学反応、妥当な結果なのか。

コロナが収束しても、飲み会という文化が職場や、そこまで仲良くない人たちと大勢で飲む、みたいなことからは避けていきたいなあ。飲むとしても、夫や親友以上の人たちと。食を楽しみながら。話を楽しみたいなら、飲み会じゃない手段で私はしたい。チェアリングしながら、デイキャンプしながら、とか。そういうささやかさの中で生きていたい。と。居酒屋から、またこの感覚を思い出し、覚悟を決めたのでした。

串カツさいこー!おうちでもやりたい!

寂しくないから

こんばんは、ささやかに生きたいモニコです。今週末は、夫の出張につき実家へ。やりたかったこと、秋服の仕入れ、スキンケアの仕入れもできたから満足して今。残ってる仕事があるけど、3連休だから、明日か明後日にはやるでしょ、という先延ばし。妹がワクチン2回目打って、副作用が、ってことでお盆ぶりにきた。ので家族団欒。

妹がお風呂に入りながら相談してきたのが、友達の彼氏とのあれこれを聞かされるのがもう嫌だ、と。喧嘩しては同調して彼の悪口をいい、なんでもなかったー☆って彼モードになればその惚気を聞いて。振り回されるのはうんざりだ、って。その友達、いい意味でも悪い意味でも恋愛体質、なのかな。素直に、そこまで何でも友達に彼のことをあけっぴろげに話せることがすごいと思った。だって、私だったら夫の嫌なところとか自分がうまくいっていないところとかを他の人に知られたくない、私の中だけでとどめておきたい、って思ってしまう。親友とかだったら信用できるから話せなくもないけど、言わない話もいくつもある。その子は言うわけでしょ、下手したら「やめなよそんなの」とか、「別れたほうがいいよ」と言われかねないことでも。その子は妹のことを信用してるんだな、と思った。バカにされない、言ったからと言って彼や自分の人格を否定されない、って。そこは、良かったんじゃない?信用されるのはいいこと。もしくは、彼女が何も考えていないか、だけどね。

この話になった時、私達って、そんなだれかに「聞いて聞いて!」ってマシンガンのように話す、みたいなことないよね、今までなかったよね、との話題になった。職場でも、朝イチでおはようも言う前から昨日あったことを聞いて聞いて、と話してくる子供がいる。私達、朝イチで先生に話すようなことあった?聞いてもらいたくて仕方がないこと、なんてあったかな?と。無いのよ。思い出すことはなにもない。それって、なんでだろう?と考えてみた。

答え、「寂しくないから」に至った。母は専業主婦だったからいつもおうちにいて、なんでも話を聞いてもらえた。姉妹も仲良くて、いっぱい話してた。父も、仲良かった、たぶん。だから、もう満たされていたんだよね。全然寂しくなかった。誰かに話を聞いて欲しい、っていう感情がほとんどもうなかった。だからなのか、聞き役に徹することが多い学生時代だったのは。なんか私、話を聞く側に回ることが多いな、って常に感じていた。話すのが嫌いなわけではないけど、2人でいたらたいてい聞く方。話す友達が満たされていないとか、そういうのでは決して無いと思うけど、「ちょっと聞いてよー」ってぺらぺら話す、ができなかったんだよ。家で話し尽くした、心が荒ぶって聞いて!!とならない。今になって、そういうことだったの?とちょっと解決。

友達との関係を振り返ってみても。満たされているだろうな(この見方、場合によっては超失礼なので極秘)という友達とは、建設的な話ができる、そういえばね〜って落ち着いて思い思いの話ができる、できていた気がする。でも、そうではない友達だと、会って早々にねえ聞いてよ、こんなことあったんだけど、って怒涛に話してきて、こっちが何を言おうと、って感じで。私からなにかを話しても、共感をしたり、話を広げたり、っていうのはなくて、私もさー、って話泥棒。ある、あるわ。

寂しくない、満たされている、って大事だなあ。人間関係に余裕ができるのはもちろんだけど、生きていくうえでも、寂しくなくて満たされている方がゆとりがあって、しなやかに生きられる気がする。夫が出張に行って寂しい?と聞かれても、いやあ寂しくないね。ってのは、今回みたいに実家に行けるっていう物理的なもの、以外にも心が満たされているから、ってのがあるのかな。

新発見。再発見。妹よ、ありがとう。そして副反応がんばれ。

オープンオムライス

 こんばんは、ささやかに生きたいモニコです。変なタイトル、でもそのまんまです。今日は親友と呼びたい呼んでいいよね?なお友達hさんと地元の洋食屋に行った。パスタを食べる気満々だったのに、オムライスがあまりにも美味しそうで、自分でもそれなりに美味しいの作れるんだけどな、と若干の迷いもありつつ選んでみた。そしたらまあ、あのテレビとかでよく見る、ナイフを通せばパカっと開く、オープンオムライス、オムライスご開帳!のやつ。ぼてっ、とした黄色い塊が乗っているだけなのに、開けたらびっくりとろとろの黄金に輝く卵が待っていて、そこに食欲をそそるデミグラスソースをかけたいだけかける、という。こういうの、地元でも食べられたんだ、こんな素敵なお店があったんだ、東京とかじゃなきゃないのかと思ったよ、としみじみしながら。オムライスはもう、私が作るやつなんかの比じゃない、比べるのも失礼なくらいにまろやか、甘み、うまみ、チキンライスのしっとりケチャップ、卵のとろり濃厚な味が一気に押し寄せて。至福の一皿、でしたまさに。サラダもスープも、デザートの梨のコンポートとヨーグルトもパーフェクトに美味しくて、なんだこれ?って。これで1050円なの大丈夫そ?と。久しぶりに外食で感動、というかラーメン以外のものを食べたような気がする。

 このオープンオムライス、味もそうだったけどそれを作っているシェフがまあ素敵で。hさんが実はここのシェフのファンなんだよね、って言ってきた時は、シェフにファンも何もあるか?と思ったけど、数十分目の前のカウンター席に座っていたらその理由がわかったよ。人がいい。受け答えがいい、話し方がいい。私の偏見だけど、飲食店のシェフは癖やこだわりが強い人が多くて、我が強いイメージ。バイトの人にはキツく当たっても当然でしょ、っていう傲慢な態度(学生時代のバイトのモロ影響)だと思っていた。だけど、ここのシェフ、おだやか〜柔らかい〜なんにもトゲがない!!!中年の男性でここまでな人いる?ってくらいに。温厚な優しいおじさん、ってわけでもなくていい意味であっさりしてて、媚びてない感じ。いいっすよ〜どーもです〜みたいな。全然上手く言えないけど。接客されてなんか心地いいというか。ねっちょりはしてないんだよ。こざっぱり後味さわやかおじさん。ついでに私は顔もまたタイプである。

 味もいい、人もいい、ときたらもうリピートするしかないなぁ、と。もっと通う、これは通う。そんな素敵な飲食店に出会えたことにハッピー。hさんとの会話もまあ楽しい楽しい。ハッピーすぎます。しかし明日からの仕事はもう投げ出したいくらい嫌でございます、天変地異が起きて仕事に行かなくてもいいようになってください、と願わずにはいられん……。また週末が来て欲しい、それだけを楽しみにいざ寝ましょう、おやすみなさい。

集中

こんばんは、ささやかに生きたいモニコです。今日はですね、ある発見をしました。以前からちょいちょいやっている(暑中見舞い、年賀状なんかで)消しゴムハンコをもっとやりたい!仕事で使えそうなキャラものとかを攻めたい!と思いたち(暇だったのもある)、さっそくトライ。したところ、あれよあれよと楽しくなり、11個も作ったわけです。その時に思ったことを。

 その前に、消しゴムハンコで感動したことがひとつ。掘り進めるのは大好き、でもその前の図案を見つけて、書いて、トレーシングペーパーかクッキングシートに鉛筆で濃く書いて消しゴムに写して…転写、がすごくめんどくさかった。それはもう相当に。携帯の画面を明るくして紙からズレないように固定して写し取って、、、もうこの時点で消しゴムハンコのやる気はどっかいってたんです。しかし!快挙、パラダイムシフト、コンビニでネットプリントしたものを除光液をつけてトントンすると転写できている、というわざ。知ってはいたけど、やってみたらまあびっくり。こんなにも綺麗に写ってくれるのね、と。そのおかげで今までネックだった転写作業が一気にコンパクトになり、掘ることだけに集中できたわけです。

 さて本題、1日消しゴムハンコを作ってみて思ったのが、私にとって集中することは快感であり、落ち着くし、ストレス発散になる!!ってことに。全く苦じゃない、いくらでもやれる(やってないからそう思う)、と。今週から仕事が夏休みが明けて本格的に始まり、なんやかんや疲れとストレスが溜まっていた。だから急に消しゴムハンコやりたい、ってなったのかも。そしてやってみたら私の予想通りなのか、集中をたくさん使うから気持ちよくて、どんどん掘りたくなって、11個も作ったという。そして今、晴々しい気持ちになった。

 集中、がこんなにも自分にとって楽しいこと、気持ちいいこと、適性のあることなのだと高校生の頃とかに知れていたら、職選びの時の選択が変わったかもしれないなぁ、と。集中が活かせる仕事ってなんだろう?って考えてみたけど、そこまで思いつかなくて。パッと検索しただけでは、長距離ドライバー、製造業、倉庫内作業…私が思ってるのとはなんか違う感じだった。そもそも、求人系のサイトを見ても(ざっとしか見てないけど)、ピンとくる仕事が無かった。夫には、集中力プラス創造性があるから小説家がいいんじゃない、と言われた。ふむ、今までで1番興味は湧いた。小説を書く、集中して話を書き続ける、かつ、そこに創造性、私らしい気もする。

 集中ってすごく楽しい、私にとってのストレス発散法だ、と気づけたのは収穫。なんか手芸好きだな、ビーズも編み物も好きだな、音楽作りも楽しいな、って思ってたけど、どれも集中するから好きなんだわ。自分の中で納得がいった。

 今の仕事を続けつつ、リフレッシュ集中で手芸をしたり、最終的には小説を書き上げられるようになれたら人生充実する気がする。よし、それでいこう。