ささやかに生きる

音声入力中心に、思ったことをつらつらと。

許すこと

 

こんにちはささやかに生きたいモニコです。

今日から早速ね音声入力でやっていこうと思うのでがんばります。今日は、「相手を許す」について。誤った何かがあったときに、許せるか許せないかって結構大事なポイントだと思うんです。最近感じました。

例えばですけど一緒にボール遊びをしていたときに、たまたま後友達の回数だけがみんなに比べて多くなってしまう時。わざととかではなくて、たまたま取るのが上手いとか、いい場所にいていっぱいボールが来るとか。少し偏りが出ちゃったとか、平等の観点で言えばおかしいみたいなことが起きたときに。でもそれって仕方がないことだよね、私にも回してくれたらいいな〜って伝えるのか、それとも「なんでそんなにいっぱいボールやるのずるいでしょう、早く渡して」のコミニケーションの仕方。

「仕方がないけどたまには貸して〜」って言う子の捉え方の根底にあるのは「許す」だと思ったんです。少しの偏りが出たとに対して、許す。その上でこんなふうにして欲しい、って素直に伝える。どっちの言い方をされたいか?誰も偏りをせめられたい、なんては思ってないはず。しかもそれがわざととか、相手の奪ってまでボールを取ってるとか、そういうことでは全くないわけで。そしたら、受け手にとっても許した上でのコミニケーションの方が気持ちがいいし、多分言う方も「なんで??」って突っかかって許せない!!って言う状態での関わり方をすると、労力を使って精神的にも無駄に疲れることになるんじゃないかなぁと。

 

だから、相手を許して、じゃあその上でどうするか?って提案できる人になりたい。

 

でもね自分を振り返ってみると、ちゃんと許せているのか?って言われると、全然許せていないことがある。例えば、大人数の人と接するけど、その人の中のうちの誰かが忘れ物をした時に私すごいかちんときちゃうんです。なんで前日にちゃんと確かめないの?ってその怠惰な態度に対して、全然許せなくて。これからは確認しなよ、って伝えればいいだけなのに、不機嫌な態度をそこにプラスしてしまう。私は怒ってる、嫌だって思ってる、って伝えなくてもいいのに伝えちゃう。

忘れてしまったことは、もう今更家に戻るわけにもいかないし変えられない。それだったら、怒っても怒らなくても変わらない。だとしたら、すっと許して、「あー忘れたのね、次気をつけなよー」って嫌味のない言い方で言うことができていたら、自分も相手もどれだけ心穏やかでいられるか。毎日のように感じてます。

許せたらいいものの、なかなか許せないことが人間やっぱり誰しもあると思います。私にもある。今までは、相手が悪いんじゃん、て思ってました。でも、どんどんどんどん積み重ねるうちに、もうそれ許したらいいじゃん?!って。許したいとも思えるようにはなった。だから後はもう、「許す」行動、それさえできれば本当に苦しくないと思う。

 

他にも、に夫に対してもそうだよね。こんなふうにしてほしい、がしてもらえなかった時に、「なんだそんなことか〜〜」って言えない、許せない。許すハードルが高くなればなるほど怒る回数も増える。自分の思い通りにならないのが許せないとかさ。許せたら、お互い良い関係がね築けるんじゃないかっていうのはもうわかったんです。

だからこそ私は許せる人になりたい。よく「寛容」って言葉も使いますよね。そう。寛容ってめちゃくちゃ大事だなぁって思いました。寛容な人になりたい。そんな人と付き合いたい。狭量っていうのかな、心が狭くて許せない、許せないことに対して怒り続ける人とは関わりたくないでしょ。

ささやかに生きるが私のモットーですけども。ささやかに生きて、相手も自分も許すことができる人。許して、許して、うまくいきれたら良いな、という学びでした。それでは。