ささやかに生きる

音声入力中心に、思ったことをつらつらと。

プレッシャー

こんばんはささやかに行きたいモニコです。今日は夫がいないので久しぶりに夜寝る前に音声入力をしながらのブログです。今日はプレッシャーについて。

職場で発表会なんかもあって、特に担任としてのプレッシャーを感じずにはいられない季節がやってきてしまいました。何をやるか、どんな練習をするか、小道具、音楽…まで全部1人でやらないといけないんです。私はまだ4年目だから経験も浅くできる事は限られている。その中でももちろん全力を尽くすけれども、ベテランの先生には到底かなわないわけで。私なりに夏休みから動き始めて少しずつ進めてきていたつもりではあったけれども、ベテラン先生がささっと、いとも簡単に準備を進めていて、しかもそれがハイクオリティーだと、なんだか私って本当にできないなぁ…と自分の無力感や劣等感を感じずにはいられないわけです。もちろん経験年数が18年とか20年とか違うわけなんだから、できない事は当たり前だし、今ベテラン先生と同じ位できてしまったらそれはそれでおかしな話だしプライドも傷つくし。なんていろいろ並べると、私は充分正当に頑張っている、とは言えると思う。

だけどそんな経験年数がないから〜というのは子供たちと保護者には関係ないわけで。同じ学校の先生、そして担任の先生、子供たちにとっては自分たちの発表、と言うのは先生の経験なんて関係ないから。だからこそ、私はできること以上のことをしなければならないし、ベテランの先生に並ぶようにくらいついていかなければ、子供にも保護者にも失礼なことだと頭で理解してるからこそ、プレッシャーに押しつぶされされそうになっています。

責任のない仕事が良いと妹は言っていたけれど、今ならそんな気持ちがわかる気がする。1人で10何人の子たちの発表をのすべての監督、を私が担う。それを保護者が見に来る、公開処刑にならないようにちょっとでもできることをしないといけないわけで。この責任って言ったら相当なものじゃないかって。会社で言ったら、取引先に対して大きめのプレゼンをするみたいな。プレッシャー案件がもうすぐそこまで来ている、と言うわけです。

何だか今年はいつも以上にそれを感じていて、間に合わないんじゃないか?とか、クオリティーが低いんじゃないか?と不安になって。昨日はだいぶ落ち込んでしまっていました。夫にも笑顔がないよーとか疲れてるよ、と心配をかけてしまった。でも、昨日の私はどうしてもそのプレッシャーに押しつぶされてもう仕事なんてしたくない学校にも行きたくない、コロナが出ればもしかしてそれがなくなる?天変地異が起きれば…不謹慎なことを考えてしまう位には思い詰めていた。今日は仕事を少しすすめられたので、今後の兆しがちょっと見えたことと、別で良いことがあったので昨日よりは回復したけれども。

依然としてプレッシャーが心の片隅にずっとある。きっとこれは本番を迎えるまではずっとあるものでそれまでは緊張の糸が張り詰めているまんまだと思う。早く解放されたい、でもまだその日を迎える準備が万全にできているとは言えない。あと2週間でどうにかなるものなのか?今からとっても不安な日モニコです。

プレッシャーがなければ人は幸せになれるんじゃないか、とすら思います。ドラマに出てくるような…言われたことをやって、定時になったら帰り同僚と飲みに行く。そんな会社員生活が自分にももしかしたらあったんじゃないか、と思うと。今の、このすべての神経をすり減らし、プレッシャーを体全部で受け止めるこの生活が『人生の最良の選択』とは言えないような気がして憂鬱になる。プレッシャー、期待、責任。これらから解放される日はいつくるんだろうか。働いている間の35年はずっと続くのだろうか。

プレッシャーを感じたとしても、それに負けない位の実力をつければいいんじゃないか。もっと自分が仕事ができる人になればいいのか。もうやるしかないんだよなぁ、と言う現実はわかっている。こんなにも自分のアイデアや発想を直接生かすことができるのは、ここにいる間だけだよなぁ、とポジティブに考えて。あと2週間は全力で駆け抜ける。頑張れ私。プレッシャーに負けるな。いや負けてもいいから。プレッシャーとともに目の前のことをやっていこう。