ささやかに生きる

音声入力中心に、思ったことをつらつらと。

傾聴力

 こんにちは、ささやかに生きたいモニコです。先日から、ワクチンの予約ができるかどうか、でヤキモキしていました。そして、全く取れず、勤め先の町と、住んでいる市の制度の違いでどちらからも恩恵を受けられないという最悪の事態に陥り、本当に悲しさ、というよりも怒りでいっぱいだったんです。町は町で4年勤めていたし、市は市で住んでいるし税金納めているし。それなのに、町に住んでいる町の職員しか受けられない、市の学校に勤めている人しか受けられない。市から町に通っている人の人権は!?って、本当に馬鹿馬鹿しくなって。制度の網っていうんですか、その網から落ちた形です。

 そんなこんなで、本当に困っていて、市のワクチンコールセンター的なところに問い合わせたんです。病院の時みたいに冷たくあしらわれるんだろうな、どうせ言ったって無駄なんだろうな。そう思って、もう電話をかけるのすらやめようと思った。だけど、「可能性があるなら言ってみなよ」と夫に励ましてもらえたのもあり、なんとかかけてみた。すぐに繋がった。びっくり。そして、話を聞いてもらえた、感じが良かった。無理なんで。そういう制度なんで。一言でバッサリと切るのは簡単だし、それが仕事なんだろうけど、話を聞いて、そうでしたか、と若干の共感をしてもらって。その上で、確認して折り返し電話します、と。その一言があるだけで、その共感があっただけで、聞いてもらえただけで、もうワクチン結果的に予約取れなくてもまあ仕方がないかな、と思えた。

 ここで思ったのが、人の話を聞くってやっぱり大事なこと、と。傾聴力、なんて職業柄よく聞くけど、聞くことって大事だ。相槌をして、そうでしたか、などの合いの手(?)も入れつつ、大変でしたね、それはつらかったですね、と共感して。否定はしない、勇気を持って話しているのだから。そんな心遣いのある聞き方をしてくれたら、気持ちよくなって話して、その結果がどうであろうと、何かしらのモヤモヤが晴れて、スッキリするんだと思う。

 職場で、保護者と話す機会があったときに、本当にたくさんのことをマシンガンのように話してくるお家が何軒もある。覚えているだけでも。言われた時って、なんでこんなこと言われなくちゃいけないの?理不尽、言いたいだけ言って。と、残念な、悲しい気持ち、怒りたくなる気持ちになることもあった。だけど、その度に、きっと言いたかったんだよ。聞いてもらえて安心したよ、言えてスッキリしたはずだよ、って同僚から言われて。言ってもらって。そうか、私は聞いてあげることができたんだ、大したことも何も言えないけど、相手の思っていたことを話させて、吐き出してあげることができたのかな、と少しだけ前向きな気持ちになり、落とし所をそこでつけられた気がした。この経験を振り返っても、やっぱり傾聴力は大事で、言葉に力がまだない、説得力のある経験をまだしていない若い私にとって、この傾聴力だけでも武器にして行けたらいいのかな、と気付いた気がする。

 コールセンターのおばちゃん、私の、どうにもならない話を聞いてくれてありがとう。おかげで、26歳の今、大事なことをまた1つ学べた気がするよ。そして翌日に折り返し電話をしてくれたおじさん、結局打てないことになったけど、聞いてもらえて、丁寧に対応してくれたのは嬉しかった。そこでぞんざいに扱われたらもう、私今住んでる市のこと、大嫌いになってしまうところだった。ありがとう。

 兎にも角にも。早くワクチン打てますように。