ささやかに生きる

音声入力中心に、思ったことをつらつらと。

社会に取り残された話

 こんにちは、ささやかに生きたいモニコです。180日以上ぶりの更新になってしまいました。ブログもそこそこに、新婚生活を楽しんだり、ツイッターを楽しんだり。長い文章を書くこと、音声入力をすることから離れていました。書きたかったんだけど、なかなかタイミングがとれず、でした。社会人4年目、4度目の夏休みなり、割と毎日時間があるのでブログ再開します。といっても、限定公開だし、自分の考えをあくまでも整理するだけのツールですが、毎日何かしらのテーマを書いていけたらなと。

 今日は社会に取り残された話。なんのこっちゃ、ワクチンです。コロナが猛威を振るう中、4月頃から段々とワクチンができ始めて、医療従事者、高齢者と関わるお仕事〜なんて優先的に受けていて、やっと一般にもその枠が降りてきて。夫も受けたし(それについては次回詳しく。)、職場でも予約を取れた人がいっぱいいる。そんな中、私はちっとも予約すら取れない。私の職場の町は、町で働いても町に住んでいなければだめ、ということで受けられず。住んでいる市からはワクチンの接種権は届いたものの、集団接種は現在予約を受けていません。は?だし、連携している個人病院は片っ端からかけてももう予約はいっぱいです、でどこを当たっても受けられない。そもそも電話が全く繋がらないから、 何回かけたことか。延々とかからない。やっとかかったと思ったら、ぞんざいに扱われて。いや、こっちだってそんな下から申し訳なさそうにいうことでもなくないか?そっちだって委託でしょ?と思いながらも、「はいわかりました(ブチギレ)」で電話を切ることもあり。結局、何にも進んでいない。だって、そもそも摂取券が届いたのも、同じ市の40代の人よりも、1週間は遅かった。より高齢の人から順に。学生も優先的に。じゃあ、20代は後回しでもいいんですか。って。いいんです、若いから。軽く見られてるから、今の状態になっているということ。

 これだけ、ワクチンを摂取しよう、と取り組まれていたって、摂取券をばら撒いたって、結果予約も何もできない人がいるわけだから、もう元も子もないじゃないですか。完全に社会に取り残されています。ワクチンが受けられたら、今よりももう少しは外出を楽しめるかもしれない。罪悪感を感じないで過ごせるかもしれない。東京と行き来する夫をもっと優しく受け入れてあげられるかもしれない。できることは増えるはずなのに、その権利すら与えられない。ここで生きるなってことですか、私に人権はないんですか、と。

 私の職業は、人と関わる、特に子供と7時間以上も毎日濃く接する職だから、最初は優先的にワクチン接種ができるんじゃないかと期待もしていた。自分は「優先されるべき側」に位いる運じゃないかって。それが傲慢だったのかな、別にそんなこともなく、後回しにされる「どうでもいい人」枠だったんだ、って感じた。そう思うこと自体、私自身が勝手に人の職業や年齢で線引きしてるんだ、確かにそうかもしれない。自分はそっち側の人間だって、思い上がっていた。最後の最後に回ってくる一般人なんだ、ってここで自覚できたのは、もしかしたらいいことなのかも。全然そんなこと思ってなかったけど、今キーボード叩いて想い綴ってたら、そう思った。自分の職業に対して、割と誇りというか、自負していた、偉いでしょ、同い年の中ではしっかりしてるでしょ、みたいな驕り高ぶりがあったのかも、いやあったわ!!!!だから、なんで私が、なんでこの職の私が優先されないわけ?されるべきでしょ、って思ってたわ。そうじゃない、そうじゃ無かった。優先されるされないの前に、その変な思い上がりはやめなさい、そんなふうな神様からのお告げ、かも。今まで1番ガッテンがいったわ。今回の後回し、社会から取り残された、は、きっとこの私の思い上がりをやめさせるための取り残しだったんだわ。

 ということで。頭の中はクリアになりました。私は一般人です、どこまで行っても一般人。同業の中でも、まだ社会人4年目のペーペーの一般人。それを実感し、一般人若者枠として、ワクチンを受けられるその時を待つべきなのだと。こんなまとめにするつもりは無かったんだけどな、愚痴をつらつら書いて怒り爆発!な記事にするはずだったんだけど。ダメなところを自覚し反省する、というまとめになったわ。これもブログの醍醐味、ということで。

 一般人若者枠モニコ、秋ごろに集団接種でワクチンが受けられたらいいな、と思います。そうなったらまた書きます。